長 岡先生のこと

内容 更新日
長岡先生 2008/04/10
長岡先生の作品と評判 2008/04/10
オーディオ評論 2008/05/04
長岡先生の真髄 2008/10/13


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長岡先生

私は長岡先生に直接教えを受けたわけではありませんが、著書を読んで教えて頂いたことが多いので、先生と呼んでいます。長岡先生に ついては、このページを読んでいる方には説明の必要がないので、先生のプロファイルなどはここには書きませんが、その代わり、先生の著書から得た私なりの 理解 を記します。

先生の教えを一言で表せば、”鉄則はない”ということでしょう。別な表現をすれば、”鉄則がないことが鉄則”ということになります。長岡先生が、長岡鉄男 という ペンネームを使用しておられるので、”鉄則”という用語を使われている方が多いのですが、私は、上記のように理解しています。

先生が、見捨てられていたバックロードホーン型や共鳴管型を推進したのも、ハイファイスピーカの鉄則らしきものに挑戦したからであると考ています。こうす るこ とによって、一旦見限られた方式を蘇生させたのではないでしょうか。先生があと100年も生きられて、バックロードホーン型や共鳴管型がメインストリーム になったな ら、今度は別な方式を推進されたのではないか思います。先生の言葉を借りれば、どの方式も一長一短で、どれがベストということはないということだと思いま す。

私も上記の鉄則を守ることにより、面白いものを開発することができました。

第一は、穴開き共鳴管型で、これは、ミューズの方舟のイベントで発表し、一部では評価をして頂いたものです。穴開き共鳴管型の原理は単純で、共鳴管の途中 に開口を 付けると、そこで圧力が一部大気開放されるため、共鳴周波数を増やすことができるというものです。木管楽器を真似しただけであり、オリジナリティありませ んが、何故かこのような方式は他に見ませんでした。

次に挑戦したのは、バスレフ構造の発展でした。これが、本文に説明してある並列配置型小部屋構造スピーカです。こちらは、完全オリジナルで、意図した通 りの動作が得られたので、特許も出願することができました(審査請求と特許料の維持には大金が必要なので、先に進むかどうかは分りませんが)。

以上のように、私の作品は、先生の教えを元に開発できたものであり、皮肉にも先生の実験されなかったことを実施して面白い効果を上げることができました。

以上のように、私の作品は、先生の教えの自分なりの理解を元に開発できたものであり、先生の実験されなかったことを実施して効果を上げることがで きた。ご存命であれば、是非聞いて頂きたかった方式です。


長岡先生の作品と評判

長岡先生の作品は、マルチウェイからフルレンジまで多岐にわたります。しかし、私が唯一製作した長岡先生の作品はD-111アンモナイトMだけです(この 作品は後にエスカルゴと名称を変えたようです)。私は、オリジナルのアンモナイトシリーズの記事を読んですぐに製作してみたくなりました。
アンモナイトシリーズはスパイラル状のバックロードホーンで、バッフル面積が広く、製作が比較的簡単なのが特徴です。私も、東急ハンズでシナベニア板を 切ってもらった後は、仕上を除くと一日で完成しました(但し釘の仕上でしたが)。従って音もすぐ出すことができました。
最初は長岡先生の推薦に従って、TechnicsのEAS-10F10を使用していましたが、とてもつまらない音に感じ、EAS-10F20に変更し ました。10F20に変更してからは低音も出るようになり多少良くなったのですが、窮屈な感じがしていました。そこで、頑張って購入したFostex のFE108S に変更したところベストマッチングと思えるほどまるで違った鳴り方になりました。D-111の低音は比較的軽めだったため、中高域のレベルが多少 低いFE108Σに変更してみました が力が弱く、つまらない音になってしまいました。この作品は、12cmクラスのユニットには小さく、10cmクラスでも特に強力なものでなけれ ばマッチ ングが悪いように思います。
その後は、長岡先生の作品は作ってみたいとは思うものの、なかなか踏み切れないまま、独自路線に走るようになりました。長岡先生の作品のコピーを製作して いないのに はいくつか理由があります。

(1) 長岡先生の作品のうち、気に入ったものは、幅が広かったり奥行きが大きかったりしてプロポーションが狭い部屋に合わなかった。
(2) 長岡先生の作品は、様々なバリエーションがあるが、同種のもののマイナーチェンジを繰り返したベストものが少い。同種の設計で改善 を積み重ねた作品は、スワンシリーズとD-5xシリーズだけだと思います。いずれも狭い部屋にはベストとは云えませんでした。

以上の理由により、長岡先生の作品は、そのまま製作することがなく、そのうちに長岡先生は亡くなってしまいました。そのうちに、独自の方式で長岡先生の作 品に 挑戦 しようという意欲が沸いてきましたので、今は独自路線に走っています。
独自路線とは云っても、長岡先生の作品がその根底にある訳で、長岡先生の著作に出会わなかったら、未だに、大型マルチウェイの道を走っていたかもしれませ ん。正直言えば、スーパースワンはいつかは製作してみたい作品です。スーパースワンを聞かずして、自分の音を語るなかれ、とは思いますが、居住空間の問題 は無視できません。

長岡先生は、あまり知ったかぶりをせず、謙虚に書かれていたため、先生の能力は意図的に隠されていたと思います。そのあたりが、他の評論家の方々とは相当 に 違っていたところだと思います。長岡先生の表現は非常に含蓄があり、たまには、『この人は無知なのか』と思ってしまいそうになる表記もあります。しかし、 よく読むと違って感じられるところが、先生独特の味でもあります。こういったところが、一部の専門家には気に入らないらしく、先生に対する僻みを丸出しに している専門家も目に付きます。ところが長岡先生の表現は具体的で分りやすくアマチュアの指示を受けたのだと思います。それゆえ、無くなってから何年も たっても未だに信奉者が多いのでしょう。オーディオ評論という短い歴史の中で、長岡先生は、紛れも無くナンバーワンでしょう。


オーディオ評論

オーディオ評論というのは、紛れも無く怪しい評論分野のひとつでしょう。いつから始まったものかは分りませんが、1970年の初頭に自分がオーディオに興 味を持ち始めた頃には既に定着していたようです。しかし、オーディオ評論は自分にとっては、非常に怪しいものでした。今まで、長岡先生の評論以外に、信じ られた評論は殆どありません。ベストバイ等を買ってみたこともありますが、心理的には良かったものの、自分の満足度が上がったことは一度もありません。し か し、使ってみて満足度の高い製品があったのも事実ですので、オーディオ製品そのものが胡散臭いと思っているわけではありません。勿論、長 岡先生ご推薦のものでも気に入らないものはありましたが、先生のご推薦には、好き嫌いを超えた理由が明確だったので、騙されたという感じはありません でした。

オーディオ評論の中で、気になるのは不思議な表現です。例えば下記のものは自分には良く理解できません。

(1) 紙臭い.....何のことでしょう?紙にどのようなイメージを持っているのか人それぞれだと思います。コーン紙が紙製だから馬鹿にしているのかも しれません が、自分にはイメージが湧かないし、そもそも、私は、紙という素材は非常に優れていると考えています。
(2) 音の鮮度が高い.....鮮度が高いってどういうことでしょうか?鮮度が低いと耳を壊すのでしょうか?新しい録音のほうが鮮度が高いとか??  古くても保存状態が良いので鮮度が良いとか?? 録音の評だったら納得できます。
(3) ソースに入った元音.....そんなの録音した本人でさえ知らないことでしょう(というか知っていると云えば詐欺になる?)。自分でモニターした 音と、変換されて記録された音が同じはずはありません。勿論、こういう音にしたいという意図はあるでしょうが、何で他人が分 るのでしょうか?複数のマイクの位置に同時に耳を置いて聞くなんて不可能です。そもそも録音した人意外は原音を聞いていない訳だし、たとえ原音を聞いてい たって、位置によって違うはずだし...恐らくモニタースピーカーの音であれば、録音した人は比較できるのでしょうが、それでもモニタースピーカーの音が ベストとは誰も思わないでしょう。
(4) 迫真度.....迫真の演奏を普通のレベルのオーディオ装置で聞けば迫真度は普通に感じますが..... 勿論1940年代の録音だって迫真度は 凄まじいものがあります。やはり迫真度は、演奏の評に使用する用語ではないでしょうか。

自分にとって、良いオーディオ装置の音とは、生の演奏に代わりうるものです。生の演奏だって、気に入らないこともありますが、オーディオ装置だったら、気 に入った演奏だけを選んで聞くことができます。だから、生の演奏と聞き違えるほどでなくても良いわけです。そもそも、生の演奏だからと云って音が良いわけ ではありません。PAで聞いた生の音は最悪です。アコースティックな楽器の音だって、ホールが悪いと潰れてしまいます。だから、聞きやすく録音された音 は、生 以上の訴求力があることもあります。勿論、最高の生の音を超えるオーディオ装置があるわけはありません。だから、自分にとっては、オーディオ装置はある程 度 のレベルを満たせば、満足となります。困ったことに、一旦『これ以上の音はないだろう』と思っても、そうでなくなってしまうところです。しかし、後から感 じた良い音のほうが本当に良い音なのかよく分りません。
ポピュラー系の録音の良し悪しは、さっぱり分りません。聞くに堪えないほど酷い音のものがあるのは確かですが、録音の定評のあるものだって、人工音だし、 ヴォーカルもオンマイクではアコースティックではなく、マイクの音を聞いている感じがします。このような録音は、再生装置を含めた全体のパフォーマンスで 評価するものであり、 完璧に近いオーディオ装置で聞けばもっと良くなるという訳ではかならずしもありません。こういう音を聞いて、オーディオ装置の評論をするのは、難し いだろうと思います。長岡先生は同様なことを書いておられます。ポピュラー系は、演奏者の推薦があれば、それがベストなのではないでしょうか。

最もうんざりするのは、大型のマルチウェイでなければ本物の低音は再生できないという類の論評です。こういう論評に嫌気がさしたのか、長岡先生は、口径が 小さければ小さいほど質の良い低音が得られる、と皮肉っぽく書いておられました。私もそちらに賛成です。軽くて小さなスピーカーユニットからキャビネット の工夫で得られる低音のほうが、生に近いと思います。これは、感覚の問題なので証明が難しいのも事実ではありますが、長岡先生の作品を愛好する人々には一 致した見解なのではないでしょうか。

長岡先生は、金をかければかけるほど音が悪くなる、というのに近いことを書いておられました(勿論皮肉ですが)。上記のような評論を信じて物量投入すれ ば、それなりに良くなるのでしょうが、そのような人々が、いずれフルレンジ一発の音に移ってゆくということになると面白いですね。


長岡先生の真髄
2008/10/13追記

リンクで紹介している大山さんのサイトのアンケートを読んでいたところ、長岡先生の作品をそのまま製作した人は意外に多くないのではないかと思うようにな りました。それと同時に長岡先生の真髄のようなものが、何となく見えてきました。

(1)完成させないこと
長岡先生の真髄の第一は、完成させないことです。他の評論家の先生方のよ うに、手を加えて小改善を重ねるということは、一切しません。

(2)改善点を残すこと
これも(1)と同様です。改善可能な点を幾つか必ず残しておきます。例え ば、バッフル面積は極小が良いと云いながらも敢えてそうしない作品を作ります(D-5xシリーズなど)。
また、バックロードホーンは、超低音の再生が難しい、と書けば、挑戦したくなります。

(3)自分が作った原則を破ること
例えば、バックロードホーンの絞り率は、0.6〜0.8と云いながらも、 敢えてこの範囲を超えた作品を作ります。

上 記の3点は、長岡先生の記事を読んだ人にとっては非常に重要なことなのです。『こうしたらもっと良くなるだろう』、『こうしたらどうなるのかな』、また は、『本当?間違ってない?』などと思わせることにより、読者を自分の世界に引きずり込みます。結果として、全く同じ作品を作る人は意外に少い、というこ となのでしょうか。『こうしたらもっと良くなった!』と思っていたら、本当は、長岡マジックに嵌っているということなのでしょう。勿論自分もその一人では あります。

このことは、意外に見過ごされていると思います。
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